幸運な病のレシピ( 1065 )夜 :焼きそば、茄子のトロトロ、生ニシン、家族の肖像「過食症や拒食症、好き嫌いや依存症」関係性の中での食事

https://masaya50.hatenadiary.jp/entry/2019/03/06/180201
今日は、バタバタと忙しかったので、焼きそばを簡単に作った。生麺なのでそこそこに美味い。キャベツの水が麺に吸われて、美味い。茄子のトロトロは定番料理、ニシンは上手く焼けた。
他人と暮らすのは難しい。僕のような気むずかし屋でオマケに料理を作るとなると厄介だ。なにせ、出されたものを食べたら、褒め称えなければ機嫌が悪くなる(笑)。
自分の口に合わなかったり、焼き加減が生で気に入らなかったり、味が足りなかったり、単純に嫌いだったり。料理の好き嫌いはいくらでも理由がある。
家族が作ってくれたものを食べることの意味は深い。そして毎日の食事は餌を食っているわけではない。
 
「出された料理を食べない」ということには意味がある。「過食症や拒食症、好き嫌いや依存症」様々な本を読んで考えた。
 
この一年、僕の作った料理を(僕の前では)食べなかった息子が今日は焼きそばを食べた。数日前から話をするようになった。
息子が、大学が決まり、遠くに旅だつ事になった。僕がそうだったように、もうここには返ってこない。
論理的にはすでに別なコミュニティ(自分自身の未来)の引力のほうが遥かに強い。双方にとって、互いの引力から離れ新たな関係を作ろうとする苦痛の一年だった。
 
食事はその人が外界と結びつくための大事なプロセスだ。
コミュニティの一員としての位置確認という意味がある。
家族というコミュニティが異なった形になていく、このダイナミックスは凄まじい。
 
「料理」という高度な社会的なスキルを持つことで食物連鎖から抜け出すことができた。
ヒトは大きく「生存出来る環境」を広げた。
と同時に、新たな環境に適応するために、従来の環境に適応する自分を破壊する必要があった。
あるいみ、「子育てー子離れ・親離れ」は今までの自分を破壊する行為なのだろう。
まあ、いろいろ音考えることの多い一年だった。

娘が学校を終えて地元に就職をした、しかし、やがて結婚して、ここと違う厨房で食事を作るだろう。
年老いて施設で孤独に死ぬまでの間、何を見つけることが出来るだろう。
 
寂寥感といつものウーロンハイを重ねた。
仕事にならん。つまみが足らなくて、ちまちま作ってガーリックトースト食っちまった。
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僕は正真正銘の2型糖尿病の患者。高血糖は食事に対する身体の当たり前の反応だ。そして、単なるマーカーでしかない。生活習慣病(ガン、認知症、脳溢血)は食事の反映でしかない。僕のマーカー(血糖値)が正常な食事は生活習慣病から自由になる食事。

「今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。」はこちら
http://d.hatena.ne.jp/masaya50/20180414/1523734644

『炭水化物がいらない食卓』はこちら
http://d.hatena.ne.jp/masaya50/20170819/1503096100

『幸運な病のレシピ 宣言』はこちら
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『幸運な病のレシピ』はこちら
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